意外と使い切れない
当たり前だが消しゴムは、鉛筆やシャーペンでかいたものであれば消せる。
学生はもちろん日常的に文章を書く人にとっては欠かせない道具で
人には見られない恥ずかしい黒歴史的なポエムを抹消することだってできるのだ。
消しゴムはなぜ字を消せるのかについてだが、紙に鉛筆で書くと黒鉛がつき、それを消しゴムで擦ることで黒鉛が付着し表面が消しカスになるからだ。
マニアではないが自分は消しゴムが好きである。
文房具店やショッピングモールの文房具コーナーに行ったとき消しゴムを買う目的がなくても
消しゴムの陳列を眺めてしまう。
長方形で洗礼されたフォルム、ケースからはみ出た消しゴムの白い角に自分は釘付けになる。
買いたいという気持ちはあるが買わない、いや買えないのだ。
今使っている消しゴムを使い切ってからにしたいからだ。
まだ使えるのに新しい消しゴムを使うことに罪悪感を感じてしまうのもある。
しかし意外と使い切れない。
自分は大きめのサイズの消しゴムが好みであるせいか、使い切るのに2年以上も費やしたこともある。
学校の授業で先生の黒板の字をノートに書き写す時など、わざと字を間違えて消しゴムの使用頻度増やすようなことをしたことがある。
また机をきれいにすると言った理由で机に消しゴムで擦りつけて消耗させるようなこともした。
だが消しゴムをちぎって、それを投げつけたりするなど嫌がらせする輩がいた。
自分は消しゴムをあのように乱暴に使う人はものを大事にしない人だと勝手に思っている。
やはり、消しゴムは字を消して修正するものだから消しゴムとしての役割を果たして使い切りたいのだ。
学校の授業で一番消しゴムが消耗しやすいのは美術の時間で絵を描くときだろう。
けど消しゴムをあまり使用するなと指導する先生は中にはいるので、もしその先生に当たったら地獄だ。
自分の考えを消さない、書いたものには必ず意味があるからなるべく消さないなどの教育法や消しゴムを使用しない人生観と言った自己啓発があったりする。
過去にあった、嫌な出来事や失敗したことを忘れられないこともあり、消すことができないから
それを受け入れて新しい一歩踏み出し挑戦するのだと、その比喩表現として消しゴムを使わない生き方を提唱する考えは頷けるところがある。
結果も大事だが過程も大事であるという考えに基づいたものであると自分は思う。
しかしその考えばかりを気にしてはならない。
作文や論文など合格基準が定められた提出物や資料などには添削や清書が必要になる。
間違った文章や間違った情報が残ったままだと誤解や最悪損害を起こすことがあり得る。
計算問題で正しい計算式を求められる場合も同様に、誤った計算式が含まれていると採点する判断が難しくなってしまう。
場面に応じて消しゴムを使い分けるべきだ。
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